東京地方裁判所 昭和26年(ワ)5148号 判決
原告 仁宮芳夫
被告 森丘四郎
一、主 文
被告より原告に対する東京法務局所属公証人田部顕穂作成第九万三千九十四号建物賃貸借公正証書に基く昭和二十五年六月一日から昭和二十七年四月三十日まで一ケ月金一万五千円の割合による賃料合計金三十四万五千円の債権の存在しないことを確認する。
被告より原告に対する前項の公正証書の前項記載の賃料合計金三十四万五千円の債権に基く強制執行は、これを許さない。
訴訟費用は被告の負担とする。
本件について昭和二十六年八月二十四日に当裁判所が為した強制執行停止決定はこれを認可する。
前項に限り仮にこれを執行することができる。
二、事 実
第一原告の請求の趣旨及び原因
原告は、主文第一乃至第三項同旨の判決を求める旨申し立て、その請求の原因として、
一、主文第一項掲記の公正証書には、左記(イ)及び(ロ)のような記載がある。
(イ) 被告は昭和二十五年四月八日原告に対し東京都大田区新井宿二丁目千五百九十四番地所在家屋番号同町二百五十五番木造瓦葺平家建一棟建坪二十六坪三合三勺の建物を、期間は昭和二十五年四月八日から昭和二十七年四月三十日まで賃料は一カ月金一万五千円(内訳家賃三千円、借主負担修繕費一万二千円)毎月十日までに持参支払う定めで賃貸したこと。
(ロ) 原告は右賃料債務を履行しないときは直ちに強制執行を受けるべきことを認諾したこと。
二、原告は右公正証書を以て被告と右の賃貸借契約を締結し、被告に対し昭和二十五年四月七日に敷金として金三万円を、同月九日に同年四月分家賃として金一万五千円を、同年五月十日に同年五月分家賃として金一万五千円をそれぞれ支払つた。
三、しかしながら、右賃貸借契約における一カ月金一万五千円の賃料の約定及び原告が被告に支払つた敷金金三万円はいずれも法令による統制に違反するものであつて、法令に則り右賃借建物の正当な賃料及び敷金の額を算定すればそれぞれ次のとおりである。すなわち、
(イ) 右賃貸借契約の目的である前記建物(以下これを本件建物と略称する)の地代家賃統制令(昭和二十一年九月二十七日勅令第四四三号)第四条第一項による家賃の停止統制額は一カ月金四十円であつた。そして右の停止統制額はその後昭和二十二年九月一日第五四二号、昭和二十三年十月九日第一〇一二号及び昭和二十四年六月一日第三六八号の各物価庁告示により修正された結果、昭和二十四年六月一日以降の停止統制額は一カ月金四百円である。
(ロ) 仮に右地代家賃統制令第四条第一項による本件建物の家賃の停止額が一カ月金四十円でなく、一カ月金七十円であつたとすれば、右各物価庁告示による修正の結果昭和二十四年六月一日以降の停止統制額は一カ月金七百円である。
(ハ) 昭和二十五年八月十五日物価庁告示第四七七号により同年八月一日以降の本件建物の家賃の停止統制額は一カ月金千三百五十九円である。これは、本件建物の建築完成の時期は昭和十五年以前であつて、同告示にいわゆる建物賃貸価格は本件建物については金三百七十四円であり、本件建物の敷地は五十坪であつてその土地賃貸価格が一坪二円八十銭であることを基礎として算出したものである。
(ニ) 右昭和二十五年八月十五日物価庁告示により正当な本件建物の敷金の額は右家賃一カ月金千三百五十九円の三倍である金四千七十七円以下である。
四、(イ) 右のように昭和二十五年四月及び同年五月において本件建物の賃料として法令により許されている額は一カ月金四百円である。従つて原告が被告に支払つた昭和二十五年四、五月分家賃各金一万五千円のうち右金四百円を超過する部分はいずれも過払金であり、右過払金は合計金二万九千二百円である。
(ロ) 原告が被告に支払つた敷金三万円のうち前記法令により許される金四千七十七円を超過する金二万五千九百二十三円は過払金である。
(ハ) 右(イ)及び(ロ)の過払金合計金五万五千百二十三円は被告が法律上の原因なく取得した不当利得であり、原告はこれについて被告に対し返還請求権を有する。
五、(イ) よつて原告は昭和二十五年六月上旬に被告に対し右過払金五万五千百二十三円の返還請求権と、被告より原告に対する本件賃貸借契約に基く昭和二十五年六月一日から昭和二十七年四月三十日までの賃料債権(昭和二十五年六月及び七月分は一カ月金四百円又は金七百円同年八月一日以降は一カ月金千三百五十九円の割合による合計金二万九千三百三十九円又は金二万九千九百三十九円)とをその対当額を以て相殺する旨の意思表示をした。
(ロ) 仮に右(イ)の相殺の意思表示がなかつたとしても、原告は被告に対して東京地方裁判所昭和二十六年(ワ)第三〇九八号家屋明渡請求訴訟事件の第一回口頭弁論期日である昭和二十六年七月十四日に右(イ)記載と同旨の相殺の意思表示をした。
(ハ) 仮に右(イ)及び(ロ)の相殺の意思表示がなかつたとしても、原告は本訴において被告に対し右(イ)記載と同旨の意思表示をする。そして右の意思表示が被告に到達した時に本件賃貸借契約に基く被告より原告に対する昭和二十五年六月一日から昭和二十七年四月三十日までの賃料債権は相殺により消滅したものである。
六、しかるに被告は右賃料債権は依然存在し、その額は前記公正証書に記載してあるとおり一カ月金一万五千円であつて昭和二十五年六月一日から昭和二十七年四月三十日まで合計金三十四万五千円であると称して抗争する。よつて原告は、前記公正証書に基く被告より原告に対する昭和二十五年六月一日から昭和二十七年四月三十日まで一カ月金一万五千円の割合による賃料合計金三十四万五千円の債権の存在しないことの確認を求めるとともに、右公正証書の右賃料金三十四万五千円の債権に基く強制執行の不許を求めるため本訴請求に及んだ次第である、
と述べた。
第二被告の答弁及び抗弁
被告は、答弁として、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、原告の主張事実に対し前記
一の事実はすべて認める。
二の事実のうち原告が被告に昭和二十五年四月分賃料として金一万五千円を支払つたこと以外の事実は認める。右昭和二十五年四月分賃料としては、被告は原告から同年四月九日からの日割計算により金一万千円を受領したものである。
三の事実のうち(ロ)の事実及び(ハ)の事実中本件建物の建築完成時期、本件建物の賃貸価格、敷地の坪数、敷地の賃貸価格が原告主張のとおりである事実は認めるが他の事実はすべて否認する。本件建物は料理店に供する建物であるからその家賃については昭和二十五年八月一日以降地代家賃統制令の適用はない。仮に原告が本件建物で実際に料理屋を営んでいないとしても、それは一時営業を中止しているものである。
四の事実のうち昭和二十五年四月及び五月分の賃料が過払であることは認めるが、その他の事実は否認する。なお昭和二十五年四月分賃料として被告が受領した額は前記のように争う。
五の事実のうち(ロ)は認める(但し相殺の効果は後述のように争う)が他の事実はすべて否認する。
六の事実は認める、
と述べ、抗弁として、前述のように昭和二十五年四月及び五月分賃料として原告が被告に支払つた金員のうち原告主張の法令による統制に違反する部分があることは認めるが、原告の右超過部分の支払は民法第七百八条本文により不法原因給付として原告にその返還請求権はないものである。けだし同条にいわゆる不法原因の「不法」とは公序良俗に違反する場合のほか強行法規に違反する場合をも包含するものと解せられるところ、地代家賃統制令はかかる強行法規に該当するからである。又原告が被告に支払つた敷金三万円が原告主張のように統制額に違反するものであることは前述のように否認するが、仮に統制額を超過するとしても貸料について右に述べたと同様の理由により民法第七百八条本文により原告に返還請求権はない。従つて原告が、被告に対して支払つた賃料又び敷金についてその主張のように返還請求権があることを前提として為した相殺の意思表示は、その効力を生ずる理由がなく、昭和二十五年六月一日以降の賃料債権は依然存在するものである、と述べた。
第三被告の抗弁に対する原告の答弁
原告は被告の抗弁事実をすべて否認した。
<立証省略>
三、理 由
第一緒論
主文第一項掲記の公正証書に原告主張の各事項の記載のあること原告が右公正証書により被告との間に賃貸借契約を結び、被告に対し昭和二十五年四月七日に敷金として金三万円を、同年五月十日に同年五月分賃料として金一万五千円をそれぞれ支払つたことはいずれも当事者間に争がない。原告は同年四月分賃料として同年四月九日に金一万五千円を被告に支払つた旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はなく、却つて、証人森丘はるいの証言及び原告本人仁宮芳夫の訊問の結果によれば、同年四月分として原告が支払つた金員は被告主張のとおり日割計算による金一万千円であつたことが認められる。そこで以下当事者間に争のある点について順次に審究する。
第二本件建物の正当な家賃額
原告は、先ず本件賃貸借成立の日である昭和二十五年四月八日から同年七月三十一日までの本件建物の家賃の停止統制額は一カ月金四百円である旨を主張するが、この主張を認めるに足りる証拠はない。そして原告が予備的に主張する右期間の家賃の停止統制額が一カ月金七百円であることは被告の認めるところであるから、右期間の本件建物の正当な家賃は一カ月金七百円であると判断する。
次に、被告は本件建物は料理店の用に供する建物であるから昭和二十五年八月一日以降地代家賃統制令の適用はない旨を主張するのでこの点を考察すると、いずれも成立に争のない乙第一号証及び乙第三号証の一乃至三、証人森丘はるいの証言、原告仁宮芳夫及び被告森丘四郎の各本人訊問の結果並びに検証の結果を綜合すれば、被告は本件建物を賃借した後本件建物を利用して料理飲食業を営むため昭和二十五年四月中旬にその営業許可を出願したが、右許可願は許可が下りる前に原告が取下げたこと、同年五月頃に原告が船員相手の雑貨商であることから本件建物を船員を相手とした旅館に利用したこと、しかし右の旅館業は成績不振で且つ本件家屋を料理店とするためには調理場を改造しなければならないことからその後原告は本件建物において料理店又は旅館を営んだことはなく、原告及びその家族使用人の住居として利用していること、本件建物の構造は本来住宅用であつて、料理店又は旅館向きの建物でないことがそれぞれ認められる。被告は原告が本件建物において料理店を営んでいないのは一時営業を中止しているに過ぎない旨主張するが、右認定を覆して被告のこの主張を肯認させるに足りる証拠はない。そして以上に認定したところを綜合すれば、本件建物は地代家賃統制令第二十三条第二項第六項にいわゆる「旅館、貸席、料理店、喫茶店等宿泊遊興又は飲食の用に供する建物」に該当せず、従つて同令の適用ある借家であると認定せざるを得ない。よつて、本件建物の家賃については昭和二十五年八月一日以降も依然地代家賃統制令の適用があるものと認められるところ、昭和二十五年八月五日物価庁告示により右家賃の正当な額を算出する基礎となる同告示にいわゆる本件建物の賃貸価格が金三百七十四円であること、本件建物の敷地が五十坪でありその賃貸価格は坪当り二円八十銭であること及び本件建物の建築完成時期が昭和十五年以前であることはいずれも当事者間に争がない。そしてこれを基礎として右物価庁告示に基き算出すれば、昭和二十五年八月一日以降の本件建物の家賃は一カ月金千三百六十円であることが認められる。原告は一カ月金千三百五十九円である旨主張するが、これは明白な誤算であるから(けだし右告示第二の一(1) に規定する純家賃額は、本件建物については右三百七十四円に十分の二十九を乗じたものであり、これは千八十四円六十銭となるので原告がこれを千八十三円六十銭であると計算しているからこれは明らかに誤算である)、採用しない。
第三統制額を超過して支払われた家賃について
元来家賃の停止統制額を超えた賃料を以て締結された賃貸借契約は、その統制額を超えた賃料に関する約定が無効であつて、賃貸借契約全体が無効のものでない。けだし、建物の賃貸借契約を締結することは法の禁ずるところではなくて、統制額を超えて賃料を定め、受領することを禁じているから、その不法の部分のみ無効とすれば足るからである。本件建物の家賃の停止統制額は、昭和二十五年四月八日から同年七月三十一日までは一カ月金七百円であること及び被告が原告から同年四月分家賃として金一万千円を、同年五月分家賃として金一万五千円を収受したことはいずれも前に認定したところである。そして昭和二十五年四月八日に本件賃貸借契約が成立したことは当事者間に争がないのであるから、同年四月分の家賃として被告が収受し得べき額は日割計算(銭以下切捨)すれば金五百三十六円である。よつて右金一万千円のうち金五百三十六円を超過する部分(同年四月分)及び金一万五千円のうち金七百円を超過する部分(同年五月分)の合計金二万四千七百六十四円は統制額を超過して支払われた家賃であつて、被告は右金額を法律上原因なく原告より取得したものといわざるを得ない。
被告は右金員の支払は不法原因給付であるから、原告はこれが返還を請求することができない旨抗争するので、この点を考察する。
思うに地代家賃統制令(昭和二十一年九月二十七日勅令第四四三号)第三条は借家の貸主は、停止統制額を超えて家賃を受領することができない旨を規定しており、この規定はいわゆる強行法規であると解せられるから、借家の貸主がこの規定に違反して停止統制額を超えて家賃を受領した場合には民法第七百八条にいう不法原因給付に該当することは多言を要しないところである。しかしながら前示勅令第三条は、貸主に対して停止統制額を超えて家賃を受領することを禁じ、また同勅令第十八条は右規定に違反した貸主に対し五年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する旨を規定している点から考えると、民法第七百八条にいう不法の原因は受益者である貸主にのみ存するものと解するのが相当であつて、停止統制額を超えて家賃を支払つた借主はその超過部分について貸主に返還を請求し得るものといわなければならない。しからば被告の右抗弁はこれを採用することができない。
よつて被告は原告に対し前記不当利得にかかる金二万四千七百六十四円を返還すべき義務があること明かである。
第四敷金について
原告が昭和二十五年四月七日に被告に対し敷金として金三万円を支払つたことは当事者間に争がない。そして地代家賃統制令第十一条は同令第三条の規定を敷金に準用し、且つ物価庁長官が敷金の額を定めこれによつて右額を超えて敷金を受領することを禁ずることを定めており、物価庁長官が昭和二十五年八月十五日物価庁告示第四七七号を以て、前示勅令第十一条第二項による建物の賃借に関する条件として敷金につき家賃の三カ月分に相当する額以下と定め右額を超える敷金を受領することを禁じたのであつて、敷金は右物価庁告示により家賃の三カ月分に相当する額を超える部分は受領しておくことができなくなつたものであり、この部分は不当利得として返還すべきものであることは明かである。けだし敷金について前記勅令第三条の規定を準用し、貸主が右の敷金の額を超えて受領することを禁じ、且つその違反行為については刑罰を課する旨を定めているから、敷金の右超過部分についての約定は無効であると解すべきであるからである。そして本件において被告が昭和二十五年四月七日原告から敷金として金三万円を受領したことは当事者間に争がなく、右物価庁告示による本件建物の賃料の停止額が一カ月金千三百六十円に修正されたことは前記認定のとおりであるから、その三カ月分金四千八十円を超えた金二万五千九百二十円は昭和二十五年八月一日以降不当利得となつたものといわなければならない。被告はこの点についても右は不法原因給付であるから原告に返還請求権がないと主張するが、その理由がないことはさきに超過賃料の返還請求権について判断したところと同一であるから、ここに援用する。
第五相殺について
原告は昭和二十五年六月上旬被告に対し過払金五万五千百二十三円の返還請求権と被告の原告に対する昭和二十五年六月一日から昭和二十七年四月三十日までの本件賃料債権とその対当額で相殺する旨の意思表示をしたと主張するがこれを認めるに足りる証拠はないが、原告が昭和二十六年七月十四日(当事者間の別件事件の口頭弁論期日)に右と同旨の相殺の意思表示をしたことは当事者間に争がない。但し原告の被告に対して有する不当利得返還請求権は賃料過払分金二万四千七百六十四円と敷金超過分金二万五千九百二十円との合計金五万六百八十四円であるから、右の原告の相殺の意思表示中右債権額について相殺することとなるわけである。そして被告の原告に対する昭和二十五年六月一日から昭和二十七年四月三十日までの本件建物停止統制額による賃料が合計金二万九千九百六十円であることは、前示第二において判断した賃料額によつて算数上明かであるから、右の相殺により右原告の被告に対する金五万六百八十四円の不当利得返還請求権をその対等額において(すなわち被告の賃料債権はその全部)消滅したものといわなければならない。(被告の原告に対する右賃料債権中昭和二十六年八月分以降のものは右相殺当時弁済期未到来であるが、右の弁済期は債務者である原告の利益のために定めたものと認められるから、原告が自らその利益を抛棄するのは妨げない。)
第六結論
右に考察したところにより被告の原告に対する昭和二十五年六月一日から昭和二十七年四月三十日までの賃料債権は消滅したものと認められる。しからば、被告が右賃料債権の存在を主張し且つその額は一カ月金一万五千円合計金三十四万五千円と称して抗争するのであるから、原告は右賃料債務の不存在について即時確定の利益を有するものというべく、又主文第一項掲記の公正証書の右賃料債権の執行力の排除を求める請求は理由があるから原告の請求はすべて正当としてこれを認容すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、強制執行停止決定の認可及びその仮執行の宣言について同法第五百六十条、第五百四十八条第一、二項を適用して主文のとおり判決する次第である。
(裁判官 飯山悦治)